日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
再び両社の辻に戻って北に向かう。
200m程で左手に専念寺がある。 下阪本学区まちづくり推進協議会の案内看板によると明治6年に下阪本村に初めて漣小学校(良い名前だ・・・)が発足した時の最初の先生がこのお寺の当時の住職、利保泰心氏であったという。 多くの社寺が並ぶこの街道沿いには、当時の知識階級も多く住んでいたということなのだろう。
少し進むと藤ノ木川を渡る橋の手前に幸神(さいのかみ)神社がある。 写真に写っている鳥居の両脇の燈籠は下阪本出身で江戸時代の奇石収集家、木内石亭の寄進とある。 彼はコレクターであったと同時に今で言う博物学とか考古学の先駆者でもあったらしく、木内石亭や写真右側の燈籠に刻まれた銘文については滋賀県文化財保護協会のホームページに詳しい説明がある。
藤ノ木川を渡って直ぐ右手には厳島神社があり、広島の厳島神社の祭神をこの地にお迎えして湖上交通の安全を祈ったとある。 また、境内には大銀杏があり、大津市の保護樹木に指定されている。 昔の地図を見ると神社から湖岸までの距離はもっと近かった様なので、大銀杏は湖上からも良い目印になっていたことだろう。
国道161号線と斜めに交差する手前あたりでようやく道の左側の家並が切れて田圃越しに比叡山を望むことができた。 上述の様に昔は今より湖岸が街道に近かったので、旅人は西に比叡、東に琵琶湖の美しい風景を眺めながら行き交っていたということになろう。
さて、横断歩道橋で161号線を渡り、200m程進むと左手に磯成神社がある。いかにも湖岸が近い事を思わせる名称である。 この境内に立派な無患子(むくろじ)の木があり、これも大津市保護樹木になっていた。
また、この日は写真の様に近隣の方が境内を掃除されていたが、この神社に限らず沿道の神社はどこも非常に綺麗に保たれていたのが印象的であった。
北に100m程進むと今度は右側に新唐崎公園がある。 浜大津以北は湖岸が一般に公園として開放されている場所が少なく、ましてや漣が打ち寄せる砂浜というのは貴重だが、ここは数少ないそういうスポットの一つで、ゆっくりと琵琶湖の景観が楽しめる。 さらに新唐崎松や「海は晴れて 比叡降り残す 五月かな」の芭蕉歌碑もあって休憩にも良いだろう。
天井川となっている大宮川を渡ってしばらく行くと比叡辻で、ここを左折すると国道161号線の比叡辻交差点、JR比叡山坂本駅を経て日吉大社の参道に至る。 右手にあるのは若宮神社である。
山王祭では、前編で紹介した山王鳥居を出発した船渡御が唐崎を廻ってこの若宮神社に着き、七基の神輿はここから日吉大社に戻っていくことになる。
比叡辻から再び西近江路を進むと50m程で右手にこじんまりとしたお堂がある。 尊勝寺といい、聖衆来迎寺の末寺で手前には宝塔がある。 一般的に寺院は立派な門や塀に囲まれている場合が多く、オープンな神社に比べていささか敷居が高いが、こういうお堂は立ち寄り易く、地蔵盆の頃には子供たちで賑わうようだ
100m程進むと地元の氏神様である大崎神社があり、さらに200m程進むと供所(くしょ)神社がある。 供所神社の拝殿は日吉大社奥宮である八王子山の方を向いていて、ここで手を合わせると日吉大社奥宮に手を合わせることにもなる。
再び家並が途切れてしばらく田圃の横を歩くとアサヒ自工の裏手、右手にカネカの工場がある場所に、今は国道161号線によって分断されてしまっている聖衆来迎寺の参道がある。 国道の琵琶湖側は実質的には参道の役割を果たしていないが、西近江路に面した参道入口右手に「石経法華 毎一石 写一字」の石碑がある。
この先西50m程で西近江路は比叡辻2丁目東交差点で国道161号線に再び合流し、苗鹿の常夜灯のあたりまでは全く昔の姿を留めていない。
四ツ谷の交差点からこの交差点までは3km弱、観光地にあるような店舗や保存された街並みがある訳ではないが、案内板も良く整備されていて旧街道の面影を感じることが出来る歩き易い道だった。
(西近江路を歩く(前編)はこちら)