日吉台小学校卒業生であるマリンバ奏者の髙木(旧姓村田)真稚恵さんによる、日吉台小学校コミュニティスクール事業「ようこそ先輩コンサート」が6月21日開催され、1年生から6年生までの全校の子どもたちに加えて地域からも200名を超える参加者があり、大盛況の中、素晴らしい演奏を楽しむことが出来ました。
お忙しい中母校にお越しいただいた高木真稚恵さん、当日共演して頂いた奈良県在住の小池美郷さん、日吉台在住の吉川康代さん、またコンサート実現にご尽力頂いた関係者の皆様ありがとうございました。
日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
日吉台周辺散策でやはり外せないのは紅葉の時期の西教寺、坂本界隈だろう。 今回は西教寺から千体地蔵のある山沿いの道を通って日吉大社に向かい、その後坂本界隈を少し歩いてみることにする。
先ずは日吉台商店街の滋賀銀行前の交差点から、坂本8丁目の専称寺方面に向かう。ちょっとした坂道だがこの坂の上からは日吉台とその向こうに比良山が遠望できる。 少し坂を下って専称寺の前の交差点に出た後、右折して再び坂を上って西教寺に向かうが、ここは高低差が40mぐらいあるので運動不足の方は少し息が切れるかもしれない。
西教寺は天台真盛宗の総本山で坂本に城のあった明智光秀の供養塔があることでも知られている。 門を入ると両側に僧坊の並ぶ坂道の紅葉が美しく、さらに進んで左手の宗祖大師殿の前からは琵琶湖や三上山が遠望できる。
西教寺を出て次は日吉大社をめざす。西教寺前の県道47号線を少し下り「千体地蔵尊→」の看板に従って右に折れる。 この道は見晴らしが良く、ススキ越しに南湖が美しく見える。
右に折れてから150m程で右手に千体地蔵がある。 案内看板によると周囲に無数に散らばっていた地蔵尊が田畑の開墾に伴いこの地に集められたものらしい。 同じ様に多数の地蔵尊が集めらた場所は日吉台の団地内にもあるが、同様な理由によるのかもしれない。
静かな山裾の道を350m程進むと日吉大社から流れる大宮川を渡る鉄製の歩行者橋があり、橋を渡ってさらに150m程で県道と日吉大社東本宮横の入苑受付を結ぶ小道につきあたるので、お参りをする場合は右折する。
日吉大社の後は坂本界隈を少し歩いてみることにしよう。
旧竹林院の駐車場の道向いから敷石模様に美しく舗装された芙蓉園本館の山側の道を進む。
穴太衆積みの石垣を見ながら真っ直ぐ進むとやがて道は細くなり、権現橋で細い川を渡る。 渡った後は直ぐに左手に折れて「滋賀院 ↑」の案内板のある木の門をくぐって進み、突き当りを右に折れると慈眼堂(じげんどう)の横(下写真の左側)にでる。
この慈眼堂は織田信長の比叡山焼き討ち後の復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)の廟所で、二列に並んだ石塔の奥に佇む姿が印象的だ。
写真中央の道を手前方向に進むと慈眼堂の門があるが、門から出ずに左にレ字型に折れる小道を進むと、今度は慈眼堂の琵琶湖側横手(上写真の右手)から下りの石段があるのでこれを下って天台宗務庁に向かう。 権現橋から天台宗務庁まで、ちょうど慈眼堂を迂回する感じだ。
石段を下って左手、天台宗務庁の正面向かいに「滋賀院門跡」の立札のある入口がある。 滋賀院門跡は庭園の拝観は有料だが、ここの通行は無料なので通り抜けさせて頂く。 滋賀院門跡の門を出ると入り口前には四角い池があり、この周囲から背の高い石垣や白壁、勅使門などを眺めることが出来る。
滋賀院門跡を後にして雙厳院(せきげんいん)の角を右折し、敷石模様に舗装された道を進むと蕎麦屋や和菓子屋、酒屋などが並ぶ通り少し賑やかな道につきあたる。 この道は南に向かうと盛安寺から穴太、さらにはかつては京都方面に繋がり、北は100m程で日吉大社参道、西教寺を結ぶ古くからの道である。
この道を日吉大社参道方向に進み、坂本四丁目の信号のある交差点を渡った目の前が最澄(伝教大師)の生誕の地といわれる生源寺(しょうげんじ)であり、境内には「伝教大師御産湯の井」の碑と井戸がある。
最後は生源寺と太閤桜で有名な薬寿院に挟まれた道を西教寺方面に向かう。 日吉大社の参道とこの道の交差する角には「右 盛門西教寺道」の石碑が立ち、古くから西教寺に向かう道であったことを示している。 石垣や社寺の並ぶ落ち着いた雰囲気のある道を400メートルほど進むと、左折すると観光駐車場の前を通って県道47号線、右折すると専称寺に向かう新しい道との交差点にでる。 日吉台まではあと1km程だ。
坂本には多くの社寺があり、入り組んだ道がそれらを結んでいる。 車で通るにはいささか狭かったり、或いは歩いてしか通れない道も多い。 地図を片手にゆっくり歩けばいろいろな発見がありそうだ。
日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
再び両社の辻に戻って北に向かう。
200m程で左手に専念寺がある。 下阪本学区まちづくり推進協議会の案内看板によると明治6年に下阪本村に初めて漣小学校(良い名前だ・・・)が発足した時の最初の先生がこのお寺の当時の住職、利保泰心氏であったという。 多くの社寺が並ぶこの街道沿いには、当時の知識階級も多く住んでいたということなのだろう。
少し進むと藤ノ木川を渡る橋の手前に幸神(さいのかみ)神社がある。 写真に写っている鳥居の両脇の燈籠は下阪本出身で江戸時代の奇石収集家、木内石亭の寄進とある。 彼はコレクターであったと同時に今で言う博物学とか考古学の先駆者でもあったらしく、木内石亭や写真右側の燈籠に刻まれた銘文については滋賀県文化財保護協会のホームページに詳しい説明がある。
藤ノ木川を渡って直ぐ右手には厳島神社があり、広島の厳島神社の祭神をこの地にお迎えして湖上交通の安全を祈ったとある。 また、境内には大銀杏があり、大津市の保護樹木に指定されている。 昔の地図を見ると神社から湖岸までの距離はもっと近かった様なので、大銀杏は湖上からも良い目印になっていたことだろう。
国道161号線と斜めに交差する手前あたりでようやく道の左側の家並が切れて田圃越しに比叡山を望むことができた。 上述の様に昔は今より湖岸が街道に近かったので、旅人は西に比叡、東に琵琶湖の美しい風景を眺めながら行き交っていたということになろう。
さて、横断歩道橋で161号線を渡り、200m程進むと左手に磯成神社がある。いかにも湖岸が近い事を思わせる名称である。 この境内に立派な無患子(むくろじ)の木があり、これも大津市保護樹木になっていた。
また、この日は写真の様に近隣の方が境内を掃除されていたが、この神社に限らず沿道の神社はどこも非常に綺麗に保たれていたのが印象的であった。
北に100m程進むと今度は右側に新唐崎公園がある。 浜大津以北は湖岸が一般に公園として開放されている場所が少なく、ましてや漣が打ち寄せる砂浜というのは貴重だが、ここは数少ないそういうスポットの一つで、ゆっくりと琵琶湖の景観が楽しめる。 さらに新唐崎松や「海は晴れて 比叡降り残す 五月かな」の芭蕉歌碑もあって休憩にも良いだろう。
天井川となっている大宮川を渡ってしばらく行くと比叡辻で、ここを左折すると国道161号線の比叡辻交差点、JR比叡山坂本駅を経て日吉大社の参道に至る。 右手にあるのは若宮神社である。
山王祭では、前編で紹介した山王鳥居を出発した船渡御が唐崎を廻ってこの若宮神社に着き、七基の神輿はここから日吉大社に戻っていくことになる。
比叡辻から再び西近江路を進むと50m程で右手にこじんまりとしたお堂がある。 尊勝寺といい、聖衆来迎寺の末寺で手前には宝塔がある。 一般的に寺院は立派な門や塀に囲まれている場合が多く、オープンな神社に比べていささか敷居が高いが、こういうお堂は立ち寄り易く、地蔵盆の頃には子供たちで賑わうようだ
100m程進むと地元の氏神様である大崎神社があり、さらに200m程進むと供所(くしょ)神社がある。 供所神社の拝殿は日吉大社奥宮である八王子山の方を向いていて、ここで手を合わせると日吉大社奥宮に手を合わせることにもなる。
再び家並が途切れてしばらく田圃の横を歩くとアサヒ自工の裏手、右手にカネカの工場がある場所に、今は国道161号線によって分断されてしまっている聖衆来迎寺の参道がある。 国道の琵琶湖側は実質的には参道の役割を果たしていないが、西近江路に面した参道入口右手に「石経法華 毎一石 写一字」の石碑がある。
この先西50m程で西近江路は比叡辻2丁目東交差点で国道161号線に再び合流し、苗鹿の常夜灯のあたりまでは全く昔の姿を留めていない。
四ツ谷の交差点からこの交差点までは3km弱、観光地にあるような店舗や保存された街並みがある訳ではないが、案内板も良く整備されていて旧街道の面影を感じることが出来る歩き易い道だった。
(西近江路を歩く(前編)はこちら)
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西近江路は北国海道などとも呼ばれる近江の中でも東山道と並んで最も古くからある道で、起点は札の辻、現在は浜大津から逢坂に向かう国道161号線の東横INNのある交差点である。 今回のあらうんど日吉台では下阪本のKKR琵琶湖に近い四ツ谷の交差点からこの西近江路を北に向かって歩いてみた。
旧道に入って200m程進むと左手に志津若宮神社がある。 日吉大社の社外百八社のひとつで、祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)と菊理姫神(きくりひめのかみ)とある。 因みにこの沿道の社寺には下阪本学区まちづくり推進協議会による案内板が整備されており、訪問の際の良い案内になっている。
志津若宮神社を過ぎて100m程進むと、四ツ谷川を渡る。 この日は川は干上がっていたが、湖西の多くの川がそうであるように運ばれる土砂のせいで河床が高くなっていわゆる天井川になっているため、川を越えるのに少し坂を上り下りする必要があった。 四ツ谷川の土手には桜が植えられているので、春に訪れれば美しい光景を見せてくれるだろう。
四ツ谷川から200m程で右手の家並が途切れ、琵琶湖側に山王鳥居を望むことができる。 この山王鳥居は国道161号線の湖側に突き出た船着き場になっていて、山王祭の船渡御は七基の神輿を載せてここから出発する。
綺麗な門構えの長善寺、立専寺などを見ながら200m程進むと、右手に坂本城址の石碑が見えてくる。 大津市が設置した立派な案内板がある割にはこの石碑と坂本城の位置関係を示す記述は全く無かったが、どうやら坂本城の本丸は写真左正面に門が見えている東南寺の裏手にあったようだ。
蓮瑞寺の手前に旧大道町という案内石柱があり、それによるとこの辺りの西近江路は廃城となった坂本城の堀を埋めて広い道を作り、それが旧町名になったとある。
名前通り多少幅員のあるゆったりとしたカーブの旧街道をさらに進むと、やがて「両社の辻」と呼ばれる点滅式信号機のある交差点があり、ここで国道161号線と石坂線松ノ馬場方面を結ぶ道と交差する。 この交差点を左手に折れると直ぐに酒井神社、両社神社、その先には下阪本小学校と市民センターがあり、国道からの車の流れもそれなりにあって、下阪本の中心部分とも言えそうだ。
少し寄り道して酒井神社と両社神社を見てみる。
酒井神社の境内には以前は両社の辻にあった「右 北国」「左 日吉山王/ひゑい」と書かれた道標が移設されている。 またその左には琵琶湖洪水石標というのがあり、明治29年(1896年)の大洪水の時には石標の上から約4分の1の所にある横線の位置まで水がきたとあった。 治水技術が未発達だった頃はびわ湖の氾濫などということが現実に起こっていたしるしである。
(西近江路を歩く(後編)につづく)
日吉台で行われる各種地域活動にご協力いただける方を幅広く募集するため、ボランティア募集情報を当ホームページに掲載することが出来ます。
ボランティアを募集される方は、こちらの書式にご記入の上、送信をお願いします。
お送り頂いた案件については、原則として自治連合会役員会で公開の可否を判断しますので、余裕をもってご連絡頂くよう、お願いします。
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正月や節分で日吉大社に行かれる方は結構多いと思うが、多くは西本宮や東本宮へのお参りだろう。 日吉大社には沢山のお社があるが、山王七社といわれるメジャーなお社が七社あり、このうち二つは今回の八王子山の奥宮にある。 奥宮の付近の標高は350m程度、日吉大社の東本宮あたりの標高は150m程なので、今回は200m程のちょっとした山登りである。
今回は東本宮の横手から入り、八王子山の登山口に進む。 この階段の両側には奥宮にある牛尾宮と三宮宮の遥拝所がある。 遥拝所というのは名の通り、遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所で、ちょっと山登りは厳しいな・・・という方はここからでも拝めますという神様の出張所のようなものらしい。
階段も段差が大きくバリアそのものだが、階段を登るきるといきなりの胸突き八丁の急坂で、これがほぼ山頂まで続く。 おまけに下は小石がごろごろしていて上りは歩きにくいし、下りはズルッと滑り易いので要注意だ。 因みにスマホの水準器で測ってみたら勾配角度がおよそ20度あった。 100m進むと30m以上高くなるような急こう配ということだ。
途中、視界の開ける場所があるので小休止。 この場所まで来れば8割がた登りきったことになるのであと一息だ。
視界の開ける場所から少し進むと右上に牛尾宮と三宮宮が見え、再び石段になる。 この石段を登れば奥宮だ。
奥宮のエリアからはびわ湖(南湖)が良く見える。 個人差はあろうが結構大変な上り坂なので達成感もあり、清々しい気持ちで美しい景色が楽しめるだろう。 景観を楽しみたいのであれば逆光にならない午後がお勧めだ。
また、牛尾宮と三宮宮の間に金大巌と言われる高さ10m程の大きな岩があり、日吉大社の始まりの場所だという。 折角なので忘れずに見ておきたい。
山王祭の午の神事では奥宮に上げられた神輿を、この急坂を担いで下ろして東本宮に運び入れる。 奥宮の神様である鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)と東本宮の神様である大山咋神(おおやまくいのかみ)の結婚式を再現していると云い、なかなかに荒々しい迫力のある神事だが、自分の足で一度上がってみるとより実感できるだろう。(最近は観覧席が提供されるようになった)
※ 奥宮エリアには飲料の販売機、水など無いので必ず持参し、ゴミは持ち帰ってください
※ 足元が滑り易いので滑りにくい靴を着用してください
*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。
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日吉台周辺には古い歴史を持った神社、仏閣が数多くあるが、今回は毎年3月下旬に山王祭の真榊神事(まさかきしんじ)が行われる那波加神社方面を訪れてみた。
前回と同じ「四丁目の通り抜け」から出発し、今回は右折して東に向かう。 150m程進んで湖西道路の下を潜ると雄琴方面と苗鹿方面の分岐があるが、ここは直進せずに左折して少し雄琴方面に進む。
150m程進むと右手に車の通行は難しそうだが一応舗装されている細い道がある。 この細い道に入ると直ぐに湖西線のトンネルの上に出る。 湖西線の比叡山坂本駅と雄琴駅の間には3つのトンネルがあるが、比叡山坂本駅からちょうど3つ目のトンネル入り口の真上である。
そのまま道なりに100mも進むと法光寺という天台宗の寺院の本堂の裏手に出る。 法光寺はこれから向かう那波加神社とは神宮寺・鎮守社の関係にある寺院で、最澄の開基。 中世には雄琴と苗鹿が寺領という大きな寺院だったようだが、織田信長の比叡山焼き討ちにあってその多くが消失したらしい。 是非はともかく、織田信長がこの辺りの歴史的遺産に甚大なる影響を及ぼしていることだけは確かだ。
法光寺は周囲に立派な石垣や柵がある。 残念ながらこの日は柵が閉じられていてお参りできなかったので、石垣に沿って進み、中ほどで右折してお寺を後にする。 今回は裏口から入ったような感じになってしまったが、木立の中にお堂や仁王像、十三重塔が美しく映えるこの方角から訪問した方が第一印象は良さそうだ。
途中貯水池を左手に見ながら100m程歩くと、冒頭の写真で紹介した分岐から苗鹿方面に向かう道に出る。 ここから苗鹿方面に向かって下って行き、さらに突き当りの道を右に50m程進むと左手が那波加神社だ。 因みに突き当りの道を左に進むと雄琴温泉の旅館街を通る。
那波加神社の拝所横に置かれていた案内チラシによると、この神社の祭神である天太玉命(アメノフトダマノミコト)が老翁となった折、鹿が現れて苗を背負って農事を手伝ったことからこの社名・地名を「なはか・のうか」というようになったそうだ。 今やこのあたりでは鹿も害獣扱いだが、昔は神様の使いだったのだ。
ところで、日吉大社の山王祭に関わる神事のうち、真榊(まさかき)神事では苗鹿にある榊山から切り出した大榊を夕刻よりここ那波加神社でお祓いし、広芝の松(坂本町内、西教寺の近く)まで奉曳するが、この際に松明行列が日吉台を通り、沿道の要所には迎え火が焚かれる。 山王祭の歴史は1200年といわれるが、そういった伝統行事に身近にふれられるのも日吉台ならではだ。
さて那波加神社の道を隔てて反対側には、上の宮である那波加荒魂神社がある。 見かけで判断してはバチがあたりそうだが、本殿も境内も那波加神社の方が立派で社務所も那波加神社に隣接しているので、那波加荒魂神社が「上の宮」というのはちょっと意外な気がしたが、この上、下というのは地勢的な高さから来るものらしく、有難さに上下はないということのようだ。
*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。
日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
千野は日吉台の北側に広がる地区の名称だが、昔の地図を見ると日吉台の団地が開発される以前は、日吉台近辺も現在の千野と同様に里山の景観が広がっていたようだ。 初回に頑張りすぎて後が続かなくなっても困るので今回は日吉台の北辺の道を少し歩いて千野の天満神社を訪れてみた。
最近防犯カメラの設置された、いわゆる「四丁目の通り抜け」から日吉台を出る。 雄琴方面は突き当り右折だが今回は左に曲がってみる。
曲がるといきなり鬱蒼とした木々に囲まれた道になる。 先程まで住宅団地を歩いていたのが嘘のようだ。 老婆心だが暗くなってから一人で歩くのは止めた方が良いかもしれない。
途中で見つけた標柱には「苗鹿今千野線道路開通記念」とあり昭和9年の竣工とのこと。 「今千野」は北の谷を流れる大正寺川の南の地区の旧名称で今の千野三丁目にあたる。 この道が出来た頃は日吉台のあたりはどんな様子だったのだろうか。
さらに進むとびわ湖(南湖)から比叡山に至る大津を一望するパノラミックな景観が広がる。 日吉台の団地内からはどこからでもびわ湖が見えるが、広がり感から言うとここが一番かも知れない。 ちなみにここから日吉台三丁目に下りる道もある。
100メートル程で千野三丁目の集落に入り、直ぐに天満神社の鳥居が見える。 天満神社は今千野の氏神様で祭神は菅原道真。 この日も境内を清掃している方がおられたが、地元の方に大切にされているようだ。
千野の広い空に悠々と泳ぐ鯉のぼり。 田圃に水も張られて田植えも近いようだがこういう季節感を味わえるのも日吉台ならでは。
団地に戻って振り返ったら、天満神社の鎮守の森が見えた。 「ここらも変わったな・・・」神様のつぶやきが聞こえるようだ。
*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。
「日吉台幼稚園がゆく」シリーズもお蔭さまでVol.24まで発行、ひとつの区切りとさせていただくことになりました。
日吉台幼稚園の先生と、保護者と、そして子どもたちの楽しい楽しい一年間。 「バックナンバーが見た〜い」「以前にどんな記事があったの?」… そんな声にお応えしてバックナンバーインデックスを用意しました。
Vol.1 | 日吉台幼稚園は、在園児20名の少人数園です。 |
Vol.2 | 書道体験の巻 |
Vol.3 | 陶芸体験の巻 |
Vol.4 | ボディペインティングの巻 |
Vol.5 | ヒヨレンジャーショーの巻 |
Vol.6 | 宝探し大会の巻 |
Vol.7 | 書道体験~其の二~の巻 |
Vol.8 | サッカー体験の巻 |
Vol.9 | 保護者コラム① ~日吉台幼稚園あれこれ~ |
Vol.10 | リトミックde笑顔満開の巻 |
Vol.11 | お店やさんごっこの準備風景 |
Vol.12 | 保護者コラム② ~日吉台幼稚園あれこれ~ |
Vol.13 | アソ☆ビバを始めました!! |
Vol.14 | 大成功!お店屋さんごっこの巻 |
Vol.15 | ふれあいサロン日吉台にてハンドベル演奏♪ の巻 |
Vol.16 | サンタさんとメリークリスマス の巻 |
Vol.17 | あけましておめでとうございます の巻 |
Vol.18 | 書き初めに挑戦の巻 |
Vol.19 | 保護者コラム③ ~日吉台っていいな~ |
Vol.20 | 保護者コラム④ ~日吉台幼稚園あれこれ~ |
Vol.21 | リトミックは楽しいな~♪ の巻 |
Vol.22 | 節分って楽しいな~♪ の巻 |
Vol.23 | 保護者コラム⑤ 日吉台夏祭りに続く『ヒヨレンジャーショー』第2弾やりました!! |
Vol.24 | ロック☆フェスティバル大盛況!の巻 |
ロック☆フェスティバル大盛況!の巻
日吉台幼稚園☆ロックフェスティバルが、3月21日(土)、遊戯室で行われました!
このホームページで何度もお知らせしていたお陰でしょうか、予想以上にたくさんの方にお集まりいただき、大いに盛り上がりました。
まずは、幼稚園児によるリトミックの披露から幕を開けたロック☆フェスティバル。
園児たちは、ドレミパイプ(日吉台幼稚園がゆくVol10、Vol21参照)で「とんとんとんとんひげじいさん」を演奏。カラフルなパイプを小さな手のひらに打ち付けて、リズミカルに演奏してくれました。リトミックのレッスンを通して、音符やリズムを楽しみながら身につけた子どもたち。音楽って楽しいな〜と子どもたちの笑顔が言っているように感じました。
次は、3丁目にお住まいの坂口さんによるウクレレ演奏!
速弾きの曲では、子どもたちから、もっと早く、もっと早くの声が飛び交い、超速弾きの技を見せてもらいました。すごかった〜。
次に登場されたのは、日吉台幼稚園の先生方!AKB48の曲にのって、可憐にダンスを披露してくださいました。
そして、次は保護者によるピアノの連弾とバレエの発表!ロックフェスティバルといいながら、クラッシックが気持ちよく流れる一時も!踊りながらも心のなかにはロック魂が。。。
さらに保護者による弾き語りへと続きます。ドラえもんのエンディング曲「ひまわりの約束」をギターとピアノで弾き語り。その後、幼稚園児を喜ばせようと、「ラッスンゴレライ」を披露するサプライズも!
ラストを飾るのは、アルフィーの名曲「星空のディスタンス」。園長先生がボーカル、ドラムは小学生ボーイ、シンセサイザーがドレミパイプでお世話になったドレミ先生とその息子さんという編成です。
この曲は、会場に来られていた、園児のおじいちゃんおばあちゃんもご存知の曲ということで、会場が一体となり盛り上がった次第です。
アンコールが鳴り止まないのですが、まさかアンコールをいただけるとは出演者サイド、誰も予想していたなかったため、日吉台幼稚園の園歌を皆で歌って、幕を引いたロック☆フェスティバル。皆さんから、楽しかったぁ〜といっていただき、本当にありがとうございました。
幕間には、保護者によるクイズや、懐かしい先生の読み聞かせなどもあり、1時間45分があっというまに過ぎました。
心の底から楽しかったHEPでの活動もロックフェスティバルでラスト。先生方、地域の皆様に支えていただき、楽しい幼稚園生活を送ることができましたこと、保護者一同感謝申し上げます。そして、1年間ご愛読くださった皆様、本当にありがとうございました。