あらうんど日吉台 – 麒麟がくる ~坂本城址公園と西教寺~

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

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 NHKで放送されている大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年)に因んで、今回は坂本城址公園(都市公園湖岸緑地北大津地区)と西教寺に行ってみた。

 まず坂本城址公園は、以前掲載した西近江路を歩く(前編)の山王鳥居のある場所の近くで、徒歩だと日吉台市民センターから3Km程ある。 歩くのはちょっと・・・という方には県道558号線(旧国道161号線)を走る江若バスの石川町バス停が最寄になり、車で行く場合、台数は多くないが駐車場もある。(※日吉台団地・堀場製作所経由比叡山坂本駅行きバス比叡辻下車、浜大津行バスに乗り換え、または団地循環バス比叡山坂本駅下車、比叡山坂本駅から県道経由で大津京駅行に乗り換え。 詳しくはこちら

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 この公園で一番目を引くのは平成7年に建てられた大きな明智光秀の石像だ。 教科書などで紹介されることの多い、岸和田にある本徳寺所蔵の光秀像と比べると武人としての印象が強く、「これ誰?」という感想を持たれる方も多いと思うが、台座にはっきりと明智光秀像とある。 隣には略歴と「われならで 誰かは植えむ 一つ松 心して吹け 志賀の浦風」の 歌が刻まれた石碑もたっている。

鳥羽一郎が唄う「光秀の意地」歌碑

鳥羽一郎が唄う「光秀の意地」歌碑

 さらに右手、湖側には「光秀の意地(「おとこのいじ」と読ませる)」の歌碑があり、近くのボタンを押すとこの歌がフルコーラス流れるようになっている。

大津市教育委員会による「坂本城跡の縄張り復元図」

大津市教育委員会による「坂本城跡の縄張り復元図」

 かつて琵琶湖が大渇水の時、普段は湖底に沈んでいる坂本城本丸の石垣の遺構が見られたことがあったが、案内看板の「坂本城跡の縄張り復元図(大津市教育委員会)」によると、宣教師ルイス・フロイスが豪壮華麗と称した水に浮かぶ坂本城はこの公園のもう少し北側にあったようだ。

 浜大津から北側では琵琶湖岸に出られる場所があまり多くないが、この公園からはその美しい景観を楽しむことができる。 前述の様に城址公園といっても城の遺構がある訳ではないが、光秀が眺めたであろう美しい琵琶湖を同じ様に見られる場所ということになろう。

北側 右手に三上山、さらに近江八幡の鶴翼山、遠く伊吹山も見える

北側 右手に三上山、さらに近江八幡の鶴翼山、遠く伊吹山も見える

南 プリンスホテルから矢橋の帰帆島などが見える

南 プリンスホテルから矢橋の帰帆島などが見える

 次は「びわ湖大津・光秀大博覧会」が開催されている西教寺に散歩がてら行ってみる。(付近の地図はこの記事を参照のこと)

 今までは西教寺の本堂前まで行くだけであれば拝観料は不要であったが、今は総門を入ってすぐ右側に拝観受付があり、大人一人500円となっている。 拝観受付で貰った案内チラシによると僧坊が両側に並ぶあたりは無料の様だが、正面勅旨門のあたりから先は有料エリアとなっていた。 尚、西教寺での「びわ湖大津・光秀大博覧会」の会場は、当初受付のすぐ左隣の禅明坊光秀館会場と西教寺会場の2か所が予定されていたようだが、コロナウイルス感染症の余波で今日現在禅明坊光秀館会場の方は開館延期となっている。 それもあってか、訪問日は観光客はまばら・・・といった状況であった。

明知一族の墓

明知一族の墓

 勅旨門の手前を左に折れて石段を上がると本堂の前庭で、本堂の手前左側にはドラマ主人公の長谷川博己もお参りに来た、明智一族や内室の熙子(ひろこ)の墓がある。 先程の案内チラシによると正面から本堂へは進入禁止となっており、本堂に向かって右手奥の大本坊から入り、見学順路に従って本堂、客殿、書院を廻るようになっているようだ。

大本坊

大本坊

本堂の阿弥陀如来、大本坊や客殿、書院の庭園、客殿の襖絵など、寺院内の見どころの外に、コンパクトな内容だが明智光秀公資料室というのが開設されていて、国内で製作された鉄砲や、光秀直筆の寄進状などが展示されていた。(写真でご紹介したいが堂内や資料室内などは殆ど撮影禁止)

大本坊庭園

大本坊庭園

 大河ドラマの主人公がこれ程身近な場所に繋がりがある・・・などということは滅多になさそうなので、滋賀院門跡などを含めて近くにある明智光秀ゆかりの場所を一度訪問されてはいかがだろうか。

あらうんど日吉台 – 千野の集落を歩く

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

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千野地区は、大正寺川を挟んで北が千野1、2丁目、日吉台に隣接する南が千野3丁目と分かれている。 それぞれ本千野、今千野という呼称もあったようだが、今回は千野の中心的な集落である千野1丁目の辺りを歩いてみることにした。

「あらうんど日吉台 法光寺と那波加神社」と同じく、日吉台四丁目の通称通り抜けから出発して苗鹿方面に向かう。 4車線化工事中の湖西道路を潜ってすぐ左折し、再び湖西道路を潜って左手に比叡の山並みと田植えの終わった水田を見ながら少し進み、棚田の間の道(舗装路)を地図青矢印の方向に入る。

田植えの終わった千野の棚田

田植えの終わった千野の棚田

直ぐ右手に千野の集落に向かう急な坂道があるのでこれを上る。 大した距離ではないがこの坂が今回のコースの最もしんどい部分だ。 上りきって突き当りをV字状に左に折返し、集落を東西に貫く道に入る。 後に分かるのだがこれが元三大師(がんざんだいし)道である。

旧町名や薬の琺瑯看板

旧町名や薬の琺瑯看板

歩いていると 道沿いの民家の壁に、琺瑯製の旧地名版や薬の看板を見つけた。  地名看板は「雄琴千野町」で上に仁丹の大礼服マークと「仁丹歯磨」、薬看板の方もTVなどでは聞いたことの無い名前で、古い集落を歩いているとこういう発見もあって楽しい。 調べてみたら、仁丹歯磨は特に戦後は仁丹の屋台骨を支えた商品だったようだし、薬の方はパスミンという風邪薬は現存しないが、青ぐすり(胃腸薬)、赤ぐすり(解熱剤)は健在だった。

天台宗月岳山安養院妙見堂

天台宗月岳山安養院妙見堂

V字状の折返しから200m程、左側に石灯篭が2基並んでおり、その奥50m程のところに安養院妙見堂がある。 ここは比叡山延暦寺中興の祖といわれる元三大師(がんざんだいし:良源912-985)が、大師の近くに住みたいと願った母親の為に建立したものだそうだ。(大津のかんきょう宝箱) 元三大師は修行地である横川に向かう際に、母親のいるこの妙見堂に立ち寄ったりしたということなのだろう。

妙見堂から戻り、右手の家々の間から時折比良山を臨みながら進む。 左手にステンレス製の給水タンクのようなものが見える辺りで道なりに右に曲がり、さらに集落の周辺をぐるっと廻るように進むと、道は次第にびわ湖に向かうように向きを変え、これも集落を東西に貫くもう一本の道に合流すると左手に立派なお寺の屋根が見えてくる。 深光寺である。 大津のかんきょう宝箱によると、真盛上人の開基、創始は不明だが元亀(1,570年)以前とある。

真盛宗西教寺派 深光寺

真盛宗西教寺派 深光寺

隣の家の犬に吠えられながらつつじの咲く道を進んで本堂に向かう。 本堂に向かって右手に鐘楼があり、その先に深心(じんしん)の庭と名付けられた石庭がある。 この庭の「心」は実際に訪れて案内板をお読みいただくとして、よく手入れされた美しい庭であった。

平成28年作の深心の庭

平成28年作の深心の庭

再び犬に吠えられながら元の道に戻り、50m程東に進むと左手に2階建ての千野会館(町民会館)があり、その横に若宮神社の鳥居がある。

若宮神社 本殿

若宮神社 本殿

参道を進むと階段の上に拝殿があり、その奥に本殿のある立派な神社である。 神社の後ろは小高い丘になっていて、如何にも神様が居そうな雰囲気であった。 先ほどの深光寺やこの神社、千野会館などがこの付近に集まっており、旧来千野の集落の中心部分がこのあたりであったことを思わせる。

さて、お参りを済ませた後は集落の東端まで道なりに進む。 途中、雄琴小学校方面への道を左に分けるY字の分岐があるが、右に進んで150m程、視界が一気に開ける見晴らし台に出る。

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この日は非常に視界が良く、三上山や近江八幡の鶴翼山(八幡山)はもちろん、遠く伊吹山まで遠望できた。
景色に気を取られて見落とすところだったが、この見晴らし台の手前に先ほど通った妙見堂の前を通る道への分岐があり、「左 元三大師」と書かれた石柱がある。 千年を超える千野の集落の歴史の長さを物語る道標である。

左元三大師道とある道標

左元三大師道とある道標

あらうんど日吉台 – 飯室不動と安楽律院

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

全体図 飯室谷付近の拡大図は下の地図を参照

全体図 飯室谷付近の拡大図は下の地図を参照

今回は日吉台から飯室不動、安楽律院方面に向かってみる。 先ずは中央通り(小学校の前を通るバス通り)を坂の上(文中の距離は全てここから)まで上がり、左手の給水施設の横の細い道を西に向かう。 このあたりはちょうど日吉台側の高橋川に向かう谷と、千野側の大正寺川に向かう谷の尾根になっていて見晴らしが良い。

400m程歩くと県道47号線に突き当たる。左手が西教寺方面で右手に進むと今回の目的地飯室不動方面だ。 しばらく進むと写真の様に高い木々に囲まれた細い道になるが一本道なので迷うようなことは全くない。 ただ、この県道は千野から仰木に繋がっているせいか、この日は思ったよりは車が通っていた。

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約1.3km、20分程歩くと「飯室谷不動堂」の標柱が見えてくる。 県道はここでVターンして千野・仰木へ向かうが、県道から左に折れると飯室不動堂だ。

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飯室谷不動堂ホームページによると、飯室谷は古来からの「比叡山三大魔所」の一つで、魔所というのは「恐ろし処という意味ではなく、清浄地であることより、ことの他、身を慎み、殺生などをしてはいけないという地」とある。 因みにここの長寿院は千日回峰をされた藤波源信大阿闍梨がご住職をされているそうだ。
この辺りはパワースポットとして取り上げられていることも多く、日吉台中心部から徒歩30分程度で来られるとは思えない程、別世界の様な清真な雰囲気を感じることができる場所だ。

飯室谷付近拡大地図

飯室谷付近拡大地図

下写真に見えている八角形のお堂は千手堂で、この奥に狛犬に守られたお不動さんが祀られている。 このお不動さんはお堂の中ではなく外からアクセスできる屋根の下?にいらっしゃるので、お堂の中の仏様と違っていつでもお参りできるようになっている。

正面石段上の建物は千手堂

正面石段上の建物は千手堂

さらに進むと長寿院への石段があり、上に見えるお堂の正面には「不動明王」の額がある。 ご本尊はこのお堂に安置されていると思われる。
地図上ではもう一つ奥に松禅院という建物があるが、この日は門が閉ざされていて入ることが出来なかった。 長寿院から松禅院までは苔むした穴太衆積みの石垣に囲まれた道で繋がっているが、門と同様にこの日は途中で閉鎖されていて通り抜けは出来なかった。

正面石段上が不動堂

正面石段上が不動堂

長寿院と松禅院を結ぶ石積の道(松禅院側から)

長寿院と松禅院を結ぶ石積の道(松禅院側から)

さて、次は安楽律院に向かおう。
先ほどの県道47号線のVターンの場所に戻ると、10m程千野・仰木よりの場所に「安楽律院」の矢印看板があるので、それに従って10段ほどの石段を上がる。 突き当たりの細道を右手に進むと上り坂が100m程続き、やがて道が平坦になったところに「攝僧大界并攝衣界」「不許葷酒入門内」と書かれた2本の結界石柱が立っている。 修行の邪魔になるような俗世の穢れを持ち込むな・・・ということだと思うが、取り敢えず「お邪魔します」と頭だけ下げて先に進むと、今度は下りの立派な石段があり、その先に山門が見える。

右手前の石柱には攝僧大界并攝衣界、左奥の石柱には不許葷酒入門内とある

右手前の石柱には攝僧大界并攝衣界、左奥の石柱には不許葷酒入門内とある

奥に見えるのが山門

奥に見えるのが山門

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現地の案内板には「安楽律院 安楽谷は横川飯室谷の別所である。恵心僧都なども隠棲したところであったが、江戸中期に妙立、霊空らがきびしい戒律主義を唱導し、その一門を安楽律とよびここに住した。 律院はおしくも放火でほとんど失った。 ここには比叡山を愛した藤原定家の碑、爪塚などがある。」と記されている。 安楽という語感とは裏腹に、きびしい戒律のもとに修行に励んでいたということらしい。 残念ながら放火で建物は焼失したようだが、今は礎石のような遺構と仮の本堂がひっそりと佇んでいる。

焼失した建物の跡

焼失した建物の跡

仮本堂

現在の仮本堂

日吉台周辺には多くの歴史的建造物や神社仏閣が散在するが、これ程日常とのギャップを感じさせてくれる場所は少なく、気分転換にはお勧めのウォーキングスポットだ。 但し県道とはいうものの、時間帯と日によっては殆ど人通りが無い可能性もあるので、その点は注意された方が良いかも知れない。 徒歩はちょっと・・・という方は西教寺前信号を右折して県道47号線に入られると良く、現地には駐車場も用意されている。 尚、飯室不動の湧き水「明王水」も有名だが、こちらについては現在は飲用不可の標記があった。念のため。

あらうんど日吉台 – 高橋川さくらマップ

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

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毎年4月になると日吉台の中を流れる高橋川の両岸に見事な桜が咲き誇る。
一般的なソメイヨシノの他にもめずらしい種類の桜があり、まちづくりカンパニー(旧まちづくり協議会)でこれらを詳細な地図に書き込んだもの作成されているのでご紹介しておく。(クリックすると拡大図が表示)

印刷される場合はこちらをどうぞ。日吉台桜地図

 

あらうんど日吉台 – 西教寺と坂本界隈

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

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日吉台周辺散策でやはり外せないのは紅葉の時期の西教寺、坂本界隈だろう。 今回は西教寺から千体地蔵のある山沿いの道を通って日吉大社に向かい、その後坂本界隈を少し歩いてみることにする。

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先ずは日吉台商店街の滋賀銀行前の交差点から、坂本8丁目の専称寺方面に向かう。ちょっとした坂道だがこの坂の上からは日吉台とその向こうに比良山が遠望できる。 少し坂を下って専称寺の前の交差点に出た後、右折して再び坂を上って西教寺に向かうが、ここは高低差が40mぐらいあるので運動不足の方は少し息が切れるかもしれない。

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両側に僧坊が並ぶ参道。映画のロケなどに使われることもある。

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高みにあがると美しい琵琶湖の景観が楽しめる

西教寺は天台真盛宗の総本山で坂本に城のあった明智光秀の供養塔があることでも知られている。 門を入ると両側に僧坊の並ぶ坂道の紅葉が美しく、さらに進んで左手の宗祖大師殿の前からは琵琶湖や三上山が遠望できる。

西教寺を出て次は日吉大社をめざす。西教寺前の県道47号線を少し下り「千体地蔵尊→」の看板に従って右に折れる。 この道は見晴らしが良く、ススキ越しに南湖が美しく見える。

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右に折れてから150m程で右手に千体地蔵がある。 案内看板によると周囲に無数に散らばっていた地蔵尊が田畑の開墾に伴いこの地に集められたものらしい。 同じ様に多数の地蔵尊が集めらた場所は日吉台の団地内にもあるが、同様な理由によるのかもしれない。

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静かな山裾の道を350m程進むと日吉大社から流れる大宮川を渡る鉄製の歩行者橋があり、橋を渡ってさらに150m程で県道と日吉大社東本宮横の入苑受付を結ぶ小道につきあたるので、お参りをする場合は右折する。

この季節は紅葉見物の参拝者も多い

日吉大社西本宮に向かう参道 この季節は紅葉見物の参拝者も多い

日吉大社の後は坂本界隈を少し歩いてみることにしよう。
旧竹林院の駐車場の道向いから敷石模様に美しく舗装された芙蓉園本館の山側の道を進む。

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穴太衆積みの石垣のある路

穴太衆積みの石垣のある道を進む

穴太衆積みの石垣を見ながら真っ直ぐ進むとやがて道は細くなり、権現橋で細い川を渡る。 渡った後は直ぐに左手に折れて「滋賀院 ↑」の案内板のある木の門をくぐって進み、突き当りを右に折れると慈眼堂(じげんどう)の横(下写真の左側)にでる。

慈眼堂

慈眼堂

この慈眼堂は織田信長の比叡山焼き討ち後の復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)の廟所で、二列に並んだ石塔の奥に佇む姿が印象的だ。

写真中央の道を手前方向に進むと慈眼堂の門があるが、門から出ずに左にレ字型に折れる小道を進むと、今度は慈眼堂の琵琶湖側横手(上写真の右手)から下りの石段があるのでこれを下って天台宗務庁に向かう。 権現橋から天台宗務庁まで、ちょうど慈眼堂を迂回する感じだ。

石段を下って左手、天台宗務庁の正面向かいに「滋賀院門跡」の立札のある入口がある。 滋賀院門跡は庭園の拝観は有料だが、ここの通行は無料なので通り抜けさせて頂く。 滋賀院門跡の門を出ると入り口前には四角い池があり、この周囲から背の高い石垣や白壁、勅使門などを眺めることが出来る。

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右手の高い穴太衆積み石垣は滋賀院門跡

 

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滋賀院門跡の勅使門

 滋賀院門跡を後にして雙厳院(せきげんいん)の角を右折し、敷石模様に舗装された道を進むと蕎麦屋や和菓子屋、酒屋などが並ぶ通り少し賑やかな道につきあたる。 この道は南に向かうと盛安寺から穴太、さらにはかつては京都方面に繋がり、北は100m程で日吉大社参道、西教寺を結ぶ古くからの道である。

左手は有名な鶴喜蕎麦

左手は有名な鶴㐂そば

この道を日吉大社参道方向に進み、坂本四丁目の信号のある交差点を渡った目の前が最澄(伝教大師)の生誕の地といわれる生源寺(しょうげんじ)であり、境内には「伝教大師御産湯の井」の碑と井戸がある。

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最後は生源寺と太閤桜で有名な薬寿院に挟まれた道を西教寺方面に向かう。 日吉大社の参道とこの道の交差する角には「右 盛門西教寺道」の石碑が立ち、古くから西教寺に向かう道であったことを示している。 石垣や社寺の並ぶ落ち着いた雰囲気のある道を400メートルほど進むと、左折すると観光駐車場の前を通って県道47号線、右折すると専称寺に向かう新しい道との交差点にでる。 日吉台まではあと1km程だ。

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坂本には多くの社寺があり、入り組んだ道がそれらを結んでいる。 車で通るにはいささか狭かったり、或いは歩いてしか通れない道も多い。 地図を片手にゆっくり歩けばいろいろな発見がありそうだ。

あらうんど日吉台 – 西近江路を歩く(後編)

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

地図後編

再び両社の辻に戻って北に向かう。
200m程で左手に専念寺がある。 下阪本学区まちづくり推進協議会の案内看板によると明治6年に下阪本村に初めて漣小学校(良い名前だ・・・)が発足した時の最初の先生がこのお寺の当時の住職、利保泰心氏であったという。 多くの社寺が並ぶこの街道沿いには、当時の知識階級も多く住んでいたということなのだろう。

専念寺

真宗木辺派 専念寺

幸神神社

幸神(さいのかみ)神社 祭神は天照大神

少し進むと藤ノ木川を渡る橋の手前に幸神(さいのかみ)神社がある。 写真に写っている鳥居の両脇の燈籠は下阪本出身で江戸時代の奇石収集家、木内石亭の寄進とある。 彼はコレクターであったと同時に今で言う博物学とか考古学の先駆者でもあったらしく、木内石亭や写真右側の燈籠に刻まれた銘文については滋賀県文化財保護協会のホームページに詳しい説明がある。

厳島神社

厳島神社 左手奥に見えているのは大津市の保護樹木にも指定されている大銀杏

藤ノ木川を渡って直ぐ右手には厳島神社があり、広島の厳島神社の祭神をこの地にお迎えして湖上交通の安全を祈ったとある。 また、境内には大銀杏があり、大津市の保護樹木に指定されている。 昔の地図を見ると神社から湖岸までの距離はもっと近かった様なので、大銀杏は湖上からも良い目印になっていたことだろう。

国道161号線と斜めに交差する手前あたりでようやく道の左側の家並が切れて田圃越しに比叡山を望むことができた。 上述の様に昔は今より湖岸が街道に近かったので、旅人は西に比叡、東に琵琶湖の美しい風景を眺めながら行き交っていたということになろう。

比叡山

最近は新しい住宅や道路が増えて田圃も減ってしまったが、比叡の山並みは昔と変わらないだろう

さて、横断歩道橋で161号線を渡り、200m程進むと左手に磯成神社がある。いかにも湖岸が近い事を思わせる名称である。 この境内に立派な無患子(むくろじ)の木があり、これも大津市保護樹木になっていた。
また、この日は写真の様に近隣の方が境内を掃除されていたが、この神社に限らず沿道の神社はどこも非常に綺麗に保たれていたのが印象的であった。

磯成神社 ここも日吉大社社外百八社の一社

磯成神社 ここも日吉大社社外百八社の一社

北に100m程進むと今度は右側に新唐崎公園がある。 浜大津以北は湖岸が一般に公園として開放されている場所が少なく、ましてや漣が打ち寄せる砂浜というのは貴重だが、ここは数少ないそういうスポットの一つで、ゆっくりと琵琶湖の景観が楽しめる。 さらに新唐崎松や「海は晴れて 比叡降り残す 五月かな」の芭蕉歌碑もあって休憩にも良いだろう。

新唐崎の松

新唐崎の松

琵琶湖

入り江からは琵琶湖の美しい風景が広がる

天井川となっている大宮川を渡ってしばらく行くと比叡辻で、ここを左折すると国道161号線の比叡辻交差点、JR比叡山坂本駅を経て日吉大社の参道に至る。 右手にあるのは若宮神社である。
山王祭では、前編で紹介した山王鳥居を出発した船渡御が唐崎を廻ってこの若宮神社に着き、七基の神輿はここから日吉大社に戻っていくことになる。

若宮神社

日吉大社社外百八社の一つ若宮神社

比叡辻から再び西近江路を進むと50m程で右手にこじんまりとしたお堂がある。 尊勝寺といい、聖衆来迎寺の末寺で手前には宝塔がある。 一般的に寺院は立派な門や塀に囲まれている場合が多く、オープンな神社に比べていささか敷居が高いが、こういうお堂は立ち寄り易く、地蔵盆の頃には子供たちで賑わうようだ

尊勝庵

尊勝庵 ご本尊はお地蔵さま

100m程進むと地元の氏神様である大崎神社があり、さらに200m程進むと供所(くしょ)神社がある。 供所神社の拝殿は日吉大社奥宮である八王子山の方を向いていて、ここで手を合わせると日吉大社奥宮に手を合わせることにもなる。

大崎神社

日吉社外百八社の一社、大崎神社 石柱にははっきりと村社と書かれている

供所神社

日吉社外百八社の一社、供所(くしょ)神社  日吉大社奥宮(八王子山)の遥拝所が発展したもの

再び家並が途切れてしばらく田圃の横を歩くとアサヒ自工の裏手、右手にカネカの工場がある場所に、今は国道161号線によって分断されてしまっている聖衆来迎寺の参道がある。 国道の琵琶湖側は実質的には参道の役割を果たしていないが、西近江路に面した参道入口右手に「石経法華 毎一石 写一字」の石碑がある。

聖衆来迎寺参道入口

聖衆来迎寺参道入口 途中で参道を横切るのが国道161号線

この先西50m程で西近江路は比叡辻2丁目東交差点で国道161号線に再び合流し、苗鹿の常夜灯のあたりまでは全く昔の姿を留めていない。
四ツ谷の交差点からこの交差点までは3km弱、観光地にあるような店舗や保存された街並みがある訳ではないが、案内板も良く整備されていて旧街道の面影を感じることが出来る歩き易い道だった。

(西近江路を歩く(前編)はこちら

あらうんど日吉台 – 西近江路を歩く(前編)

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

地図前編

西近江路は北国海道などとも呼ばれる近江の中でも東山道と並んで最も古くからある道で、起点は札の辻、現在は浜大津から逢坂に向かう国道161号線の東横INNのある交差点である。 今回のあらうんど日吉台では下阪本のKKR琵琶湖に近い四ツ谷の交差点からこの西近江路を北に向かって歩いてみた。

西近江路入口

国道161号線の四ツ谷交差点を北に向かって斜め左に入ると西近江路の旧道

旧道に入って200m程進むと左手に志津若宮神社がある。 日吉大社の社外百八社のひとつで、祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)と菊理姫神(きくりひめのかみ)とある。 因みにこの沿道の社寺には下阪本学区まちづくり推進協議会による案内板が整備されており、訪問の際の良い案内になっている。

志津若宮神社

志津若宮神社 創立は816年に遡るという

志津若宮神社を過ぎて100m程進むと、四ツ谷川を渡る。 この日は川は干上がっていたが、湖西の多くの川がそうであるように運ばれる土砂のせいで河床が高くなっていわゆる天井川になっているため、川を越えるのに少し坂を上り下りする必要があった。 四ツ谷川の土手には桜が植えられているので、春に訪れれば美しい光景を見せてくれるだろう。

旧街道

四ツ谷川の堤防から坂を下って北に続く西近江路 交通量もそれ程多く無く、静かな旧街道の雰囲気が残る

四ツ谷川から200m程で右手の家並が途切れ、琵琶湖側に山王鳥居を望むことができる。 この山王鳥居は国道161号線の湖側に突き出た船着き場になっていて、山王祭の船渡御は七基の神輿を載せてここから出発する。

山王祭船渡御の出発する船着き場

山王祭船渡御の出発する船着き場 遠く三上山も見える

真宗大谷派 長善寺

真宗大谷派 長善寺 門前の小石庭が美しい

立専寺

真宗大谷派 立専寺(りゅうせんじ)

綺麗な門構えの長善寺、立専寺などを見ながら200m程進むと、右手に坂本城址の石碑が見えてくる。 大津市が設置した立派な案内板がある割にはこの石碑と坂本城の位置関係を示す記述は全く無かったが、どうやら坂本城の本丸は写真左正面に門が見えている東南寺の裏手にあったようだ。

坂本城址石碑

西近江路旧街道に面して設置されている坂本城址の石碑と案内板、石で出来た腰掛もある。 傘は腰掛の上でなく、石碑と案内看板にさしかけられているが何らかのいわれがあるのだろうか

街道風景

左手家屋の玄関先に「西近江路」の石柱があった

蓮瑞寺

旧大道町の石柱の前に建つ真宗大谷派の蓮瑞寺 かつては太間町(現在の下阪本五丁目あたり)にあったのが、坂本城が大津に移った後に現在地に移転してきたとある

蓮瑞寺の手前に旧大道町という案内石柱があり、それによるとこの辺りの西近江路は廃城となった坂本城の堀を埋めて広い道を作り、それが旧町名になったとある。
名前通り多少幅員のあるゆったりとしたカーブの旧街道をさらに進むと、やがて「両社の辻」と呼ばれる点滅式信号機のある交差点があり、ここで国道161号線と石坂線松ノ馬場方面を結ぶ道と交差する。 この交差点を左手に折れると直ぐに酒井神社、両社神社、その先には下阪本小学校と市民センターがあり、国道からの車の流れもそれなりにあって、下阪本の中心部分とも言えそうだ。

両社の辻

交差点西(左)側 道の両側の赤い塀は右が酒井神社、左が両社神社 この道は161号線とバイパスを結んでおり、この地区の主要道路の一つ

少し寄り道して酒井神社と両社神社を見てみる。

酒井神社

酒井神社 祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ) 本殿は県指定文化財で、「正月六日から八日まで行われる「おこぼまつり」は大津市指定の無形民俗文化財

酒井神社境内

酒井神社境内にある琵琶湖洪水石標(左)と両社の辻から移設された道標(右)

両社神社

両社神社 祭神は(いざなぎのみこと)と(いざなみのみこと)の二柱で本殿は県指定の文化財

酒井神社の境内には以前は両社の辻にあった「右 北国」「左 日吉山王/ひゑい」と書かれた道標が移設されている。 またその左には琵琶湖洪水石標というのがあり、明治29年(1896年)の大洪水の時には石標の上から約4分の1の所にある横線の位置まで水がきたとあった。 治水技術が未発達だった頃はびわ湖の氾濫などということが現実に起こっていたしるしである。

西近江路を歩く(後編)につづく)

あらうんど日吉台 – 日吉大社 八王子山(奥宮)に登る

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

奥宮のある八王子山  山頂付近に牛尾宮(右)、三宮宮(左)が見える

正月や節分で日吉大社に行かれる方は結構多いと思うが、多くは西本宮や東本宮へのお参りだろう。 日吉大社には沢山のお社があるが、山王七社といわれるメジャーなお社が七社あり、このうち二つは今回の八王子山の奥宮にある。  奥宮の付近の標高は350m程度、日吉大社の東本宮あたりの標高は150m程なので、今回は200m程のちょっとした山登りである。

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八王子山の登山口 両側の社は三宮宮、牛尾宮の遥拝所

今回は東本宮の横手から入り、八王子山の登山口に進む。 この階段の両側には奥宮にある牛尾宮と三宮宮の遥拝所がある。 遥拝所というのは名の通り、遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所で、ちょっと山登りは厳しいな・・・という方はここからでも拝めますという神様の出張所のようなものらしい。

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階段も段差が大きくバリアそのものだが、階段を登るきるといきなりの胸突き八丁の急坂で、これがほぼ山頂まで続く。 おまけに下は小石がごろごろしていて上りは歩きにくいし、下りはズルッと滑り易いので要注意だ。 因みにスマホの水準器で測ってみたら勾配角度がおよそ20度あった。 100m進むと30m以上高くなるような急こう配ということだ。

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日吉台の住宅が良く見える。 やや霞んでいるがここから浮見堂や琵琶湖大橋も遠望できる。

途中、視界の開ける場所があるので小休止。 この場所まで来れば8割がた登りきったことになるのであと一息だ。

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視界の開ける場所から少し進むと右上に牛尾宮と三宮宮が見え、再び石段になる。 この石段を登れば奥宮だ。

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右手が牛尾宮で1595年の建立、左手が三宮宮で1599年年の建立でいずれも国の重要文化財

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奥宮からのぞむびわ湖。 対岸にうっすら三上山が見える。 画面中央の横線は湖西道路。

奥宮のエリアからはびわ湖(南湖)が良く見える。 個人差はあろうが結構大変な上り坂なので達成感もあり、清々しい気持ちで美しい景色が楽しめるだろう。 景観を楽しみたいのであれば逆光にならない午後がお勧めだ。

また、牛尾宮と三宮宮の間に金大巌と言われる高さ10m程の大きな岩があり、日吉大社の始まりの場所だという。 折角なので忘れずに見ておきたい。

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山王祭の午の神事では奥宮に上げられた神輿を、この急坂を担いで下ろして東本宮に運び入れる。 奥宮の神様である鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)と東本宮の神様である大山咋神(おおやまくいのかみ)の結婚式を再現していると云い、なかなかに荒々しい迫力のある神事だが、自分の足で一度上がってみるとより実感できるだろう。(最近は観覧席が提供されるようになった)

※ 奥宮エリアには飲料の販売機、水など無いので必ず持参し、ゴミは持ち帰ってください
※ 足元が滑り易いので滑りにくい靴を着用してください

*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。

あらうんど日吉台 – 法光寺と那波加神社

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

日吉台周辺には古い歴史を持った神社、仏閣が数多くあるが、今回は毎年3月下旬に山王祭の真榊神事(まさかきしんじ)が行われる那波加神社方面を訪れてみた。

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前回と同じ「四丁目の通り抜け」から出発し、今回は右折して東に向かう。 150m程進んで湖西道路の下を潜ると雄琴方面と苗鹿方面の分岐があるが、ここは直進せずに左折して少し雄琴方面に進む。

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直進すると苗鹿、左折すると雄琴方面

150m程進むと右手に車の通行は難しそうだが一応舗装されている細い道がある。 この細い道に入ると直ぐに湖西線のトンネルの上に出る。 湖西線の比叡山坂本駅と雄琴駅の間には3つのトンネルがあるが、比叡山坂本駅からちょうど3つ目のトンネル入り口の真上である。

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堅田方面行きの湖西線

そのまま道なりに100mも進むと法光寺という天台宗の寺院の本堂の裏手に出る。 法光寺はこれから向かう那波加神社とは神宮寺・鎮守社の関係にある寺院で、最澄の開基。 中世には雄琴と苗鹿が寺領という大きな寺院だったようだが、織田信長の比叡山焼き討ちにあってその多くが消失したらしい。 是非はともかく、織田信長がこの辺りの歴史的遺産に甚大なる影響を及ぼしていることだけは確かだ。

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法光寺本堂

法光寺は周囲に立派な石垣や柵がある。 残念ながらこの日は柵が閉じられていてお参りできなかったので、石垣に沿って進み、中ほどで右折してお寺を後にする。 今回は裏口から入ったような感じになってしまったが、木立の中にお堂や仁王像、十三重塔が美しく映えるこの方角から訪問した方が第一印象は良さそうだ。

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法光寺全景

途中貯水池を左手に見ながら100m程歩くと、冒頭の写真で紹介した分岐から苗鹿方面に向かう道に出る。 ここから苗鹿方面に向かって下って行き、さらに突き当りの道を右に50m程進むと左手が那波加神社だ。 因みに突き当りの道を左に進むと雄琴温泉の旅館街を通る。

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この写真では左手が法光寺、直進が苗鹿方面

那波加神社の拝所横に置かれていた案内チラシによると、この神社の祭神である天太玉命(アメノフトダマノミコト)が老翁となった折、鹿が現れて苗を背負って農事を手伝ったことからこの社名・地名を「なはか・のうか」というようになったそうだ。 今やこのあたりでは鹿も害獣扱いだが、昔は神様の使いだったのだ。

ところで、日吉大社の山王祭に関わる神事のうち、真榊(まさかき)神事では苗鹿にある榊山から切り出した大榊を夕刻よりここ那波加神社でお祓いし、広芝の松(坂本町内、西教寺の近く)まで奉曳するが、この際に松明行列が日吉台を通り、沿道の要所には迎え火が焚かれる。 山王祭の歴史は1200年といわれるが、そういった伝統行事に身近にふれられるのも日吉台ならではだ。

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那波加神社

さて那波加神社の道を隔てて反対側には、上の宮である那波加荒魂神社がある。 見かけで判断してはバチがあたりそうだが、本殿も境内も那波加神社の方が立派で社務所も那波加神社に隣接しているので、那波加荒魂神社が「上の宮」というのはちょっと意外な気がしたが、この上、下というのは地勢的な高さから来るものらしく、有難さに上下はないということのようだ。

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那波加荒魂神社

 

*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。

あらうんど日吉台 – 千野・天満神社

日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。

千野は日吉台の北側に広がる地区の名称だが、昔の地図を見ると日吉台の団地が開発される以前は、日吉台近辺も現在の千野と同様に里山の景観が広がっていたようだ。 初回に頑張りすぎて後が続かなくなっても困るので今回は日吉台の北辺の道を少し歩いて千野の天満神社を訪れてみた。

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最近防犯カメラの設置された、いわゆる「四丁目の通り抜け」から日吉台を出る。 雄琴方面は突き当り右折だが今回は左に曲がってみる。

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四丁目から雄琴、千野方面への出入り口

曲がるといきなり鬱蒼とした木々に囲まれた道になる。 先程まで住宅団地を歩いていたのが嘘のようだ。 老婆心だが暗くなってから一人で歩くのは止めた方が良いかもしれない。

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途中で見つけた標柱には「苗鹿今千野線道路開通記念」とあり昭和9年の竣工とのこと。 「今千野」は北の谷を流れる大正寺川の南の地区の旧名称で今の千野三丁目にあたる。 この道が出来た頃は日吉台のあたりはどんな様子だったのだろうか。

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さらに進むとびわ湖(南湖)から比叡山に至る大津を一望するパノラミックな景観が広がる。 日吉台の団地内からはどこからでもびわ湖が見えるが、広がり感から言うとここが一番かも知れない。 ちなみにここから日吉台三丁目に下りる道もある。

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100メートル程で千野三丁目の集落に入り、直ぐに天満神社の鳥居が見える。 天満神社は今千野の氏神様で祭神は菅原道真。 この日も境内を清掃している方がおられたが、地元の方に大切にされているようだ。

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天満神社

千野の広い空に悠々と泳ぐ鯉のぼり。 田圃に水も張られて田植えも近いようだがこういう季節感を味わえるのも日吉台ならでは。

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団地に戻って振り返ったら、天満神社の鎮守の森が見えた。 「ここらも変わったな・・・」神様のつぶやきが聞こえるようだ。

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*写真は掲載時期に撮影したものではない場合があります。